ふと、ゴールデンタイムにやっているテレビ番組を観て思うことがありました。
倉田
と。
例えばですが、
『知らないと恥をかく世間の常識』
こういう番組テーマとかあるじゃないですか。
そこで思うのは何故そこまで恥をかくことが良くないとされているのか?ってことです。
恥をかくことが出来る人は成長できる
僕思うんですが、日本人て恥をかかな過ぎな気がするんですよね。
例えば
- 人前に出て喋りたくない
- 今更人に聞けない
- 自分の思いを相手に伝えられない
こういうの日常生活で内に秘めていることあるかと思います。
その根本には恥ずかしいという理由があるはずです。
本当はこれらを主体的にすることで人として大きく成長することができるというのはみんな頭では理解してるとおもうんですよ。
でも恥ずかしくてできない。
この心理は失敗したらどうしようという心理に似ています。
失敗は進んでしろって言葉があるように失敗が成長に繋がるという話もよく聞きますよね。
でも失敗をしようと思ってもなかなか都合よく出来るものじゃありません。なにかに挑戦しない限りは失敗が生まれないんです。
だから
挑戦する→失敗する(恥をかく)→成長する
という法則が生まれるわけです。
恥を恐れる理由
多くの人が恥をかくことに敏感になっている理由に
- 『世間の目』
- 日本独特の『普通を良しとする文化』
があると思います。
世間の目というのは、同調圧力をもらたしてます。
世間の人
そういう思考が確立されているんですよね。だからみんなと違うことすると変な目で見られる。
仮にそこで人と異なる行動をした日には、変なやつという目でみられ容赦なく影で叩かれがちです。
だから普通でいることが一番となります。普通でいれば何の問題もありません。恥をかくこともないでしょう。
しかしそれ以上に人間的にも成長しないでしょう。
倉田
でもなぜか義務教育の段階で普通の人間にさせられます。
まずもって大半の親がそうですよね汗
これは僕が中学生の時の話なんですが、
当時の僕は飯をめっちゃ食う人間だったんですよ。
それこそ、ご飯のおかわり5杯がスタンダードみたいな感じです。
ですが大体いつも6杯目あたりで母親から
母
とか言われてたんです。
回転寿司に行っても食べてる途中でも、
母
って言われたりしました。
その時僕は
倉田
と中学生ながらに思ってたんですよね。
今思えばあの時止められなかったら、絶対大食いバトルで優勝出来たと思います。(マジで思ってます!)
例え優勝出来なかったとしても、挑戦するという行動は取っていたでしょうね。
少し話が脱線しましたがこれは僕の中でずっと引きずっている話です 笑
とにかくここで言いたいのは、人からどう思われているかを異常に気にしすぎなんじゃないかということです。
で、これって多分『恥をかく』という言葉が良くないんじゃないかなと思ってるんですよ。
恥をかけ=緊張しろ
”恥をかくこと”が良くないなら”緊張すること”という言葉に置き換えて実践していくと人は成長しやすいんじゃないかと思います。
つまり、
日々の生活に緊張感を持つような習慣を入れる。
それだけです。
たとえば会社でいったらプレゼンとか取引先との会食とかありますよね。
なので、緊張することって定期的にやって来ますがみんながみんな緊張する場面が頻繁にやっては来るわけではありません。
だったら自らそういう環境を作って行けばいいんです。
- 英会話塾に入ってみる
- セミナーに参加する
- のど自慢大会にエントリーする
など
それこそ結婚式なんかあったら余興とか進んで引き受けるみたいな話です。
絶対そういう行動を起こせば緊張感って生まれますよね。
そして、誰しもそうだと思うんですけど緊張した後って凄くスッキリしませんか?
人として一皮剥けたような気になるんですよね。緊張する前とした後で比べると後者は自然と余裕が生まれるはずなんですよ。
大事なのはその余裕です。
人間的に魅力がある人はこの余裕が出ています。そういう人が自分のいる環境に増えてくると日常が面白くなってくるんですよ。
もし今、『恥ずかしい』という理由で何かを躊躇しているならそれはひとつ上のステージに行けるチャンスかもしれません。
自分の可能性を広げるためにはどんどん恥をかいて失敗していくことが自分らしさに繋がっていくと僕は思っています。
進んで恥かきましょう!

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